【書評】『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論(堀江貴文)』 不登校の悩みを抱える方にもおすすめ

こんにちは。むらきゅうです。
今回は、『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論(堀江貴文)についてご紹介します。

こういった方におすすめ

  • 現状を変えたいがなかなか一歩が踏み出せない方
  • 現在不登校の方、不登校の家族をお持ちの方、不登校の悩みがある方

1.の現状を変えたい方には、なぜ一歩を踏み出せないのか、その理由と一歩を踏み出す勇気を持つことができると思います。
2.の不登校の悩みがある方には、安心感と不登校に対する前向きな考え方を持つきっかけになると思います。

この本をお勧めしない人

  • 今の生活が充実していて、特に現状を変える必要がない人
  • 自分・家族が現在、毎日楽しく学校に登校できていて、不登校?なにそれって人

こういった方は、この本を読むと、自分が否定されている気持ちになるかもしれません。

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論(堀江貴文)』はどういう本か

こちらの記事に書いた通り、いろいろと夫婦で教育関係の本を読んでいく中で、手に取った本です。

堀江さんと言えば、何かと過激なコメントで話題になります。

Twitterもそうですが、文字数が限られている中で、書籍のタイトルからいかにインパクトを与えるかを意識しているのがよくわかります。

炎上上等、それで本を手に取る人が増えればOKという考え方だと思います。

そもそも知られなければ読まれることもないので、マーケティングとして正しいやり方の一つだと思います。

ただ、「すべての教育は洗脳である」のタイトルはちょっと刺激的すぎるかな、と思います。

このタイトルだけで「あ、でた、ホリエモン節無理!」と読まない方もいると思いますが・・・。

読まず嫌いはもったいない、と思いましたので感想を書きます。

学校とは本来、国家に従順な国民の養成機関だった。

しかし、インターネットの発達で国境を無視した自由な交流が可能になった現代、国家は名実ともに”虚構の共同体”に成り下がった。

もはや義務教育で学ぶ「常識」は害悪でしかなく、学校の敷いたレールに乗り続けては「やりたいこと」も「幸せ」も見つからない。

では、これからの教育の理想形とはいかなるものか?

「学校はいらない」「学びとは没頭である」「好きなことにとことんハマれ」「遊びは未来の仕事になる」――本音で闘うホリエモンの〝俺流〟教育論!

Amazon.co.jp 商品紹介より

堀江さんの本は、他の本も読んでいますが、どの本も一貫して言っているのは、

未来はどうなるか誰にもわからない。「やりたいことがあれば、やればいいじゃん!」です。

その主張をしている中で、本を読んでいろいろと感想を寄せてくれる人はいるものの、実際に実行に移す人がいない、行動力が無さすぎる、なんでだ?と原因を考え、結論として「教育」にたどり着いたのだそう。

私が以前読んだ『子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す!「自己肯定感」育成入門」(平岩国泰)』にもありましたが、「やったことが無いから、やりたくない」、「放課後や夏休みにやってみたいこと=なし」という子どもが多くなっている、という記載もありました。

やはり、何かが「やってみたい」のブレーキになっているのでしょうか。

Thorsten FrenzelによるPixabayからの画像

日本には、僕のような「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。
そして、「我慢強い人」を褒め称える文化がある。
どんなに不満があっても、どんなに理不尽な状況に置かれても、それを耐え忍ぶことを美徳とし、耐えしのいだ先にこそ「成功」が待っているかのような言説がまかり通っている。
ほとんどマインドコントロールに近い不条理なこの呪いが、この国全体を覆っている。
その原因は何か?
「学校」なのである。
旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 はじめに より引用

戦前ならいざ知らず、現代の日本人の大半が経験している学校教育が洗脳?本当?

学校は国策「洗脳機関」である

WokandapixによるPixabayからの画像

堀江さんの記述によると、そもそも学校ができた理由は、産業革命の時代に「命令通り働く人間」「従順な家畜」を作ることで、生産性を高めていきたかったから、であり、いわゆる世間の常識も、そのために「道徳」として教え込まれてきている、ということです。

また、戦時中は「国家」という本来あいまいなものを、国民に強力に刷り込むために、学校教育が使われていました。

さすがにグローバル化が進むこの時代、国もそれではヤバいと思い、様々な教育改革を行っているんだと思います。

しかし、国の方針が多少変わったとしても、小学校などはほとんど一人の担任の先生が教えています。

その教える側の先生のレベルも様々で、過去の教え方、考え方でクラスの運営をする旧来型の先生に当たってしまうと、その「常識」から外れている生徒は、何かしらの形で矯正され、それでも治らない場合は、排除されることになります。

その一端が不登校という形で顕在化しているのだと思います。

したがって、今学校に行けない、行きたくない、という人は、旧来型先生の「洗脳」から逃れている、という見方もできるのでは、と思います。

無責任かもしれませんが、その観点から考えれば、前向きに不登校を捉えることができるのではないでしょうか。

学びとは「没頭」である

堀江さんは、その洗脳から抜け出していくためには、「学ぶ」ことが重要である、と言っています。

そして、その「学ぶ」ということは「没頭」することであり、受動的な「お勉強」とは全く異なる、ということです。

物事に「没頭」するということは、行きたい場所に行くために、自らアクセルを踏み、ハンドルを切ることであり、それをさせるワクワク感が重要だと言っています。

それは衝動的で能動的な、自らの心に従った取り組みです。

学校のカリキュラムに沿って先生の話を聞いたり、テストを受けるといった、誰かが与えてれる受動的な「お勉強」とは、全く異なる、「学び」が「没頭」です。

そしてその没頭アクセルにブレーキをかけさせているのが、学校による常識の洗脳です。

それにより、目の前の決まったレールを決まったスピードで進む習慣だけが身につくこととなります。

確かに、「従順な家畜」を育てていくには、柵の外に出ないように、

「柵の外は危険だから、出ない方が良いよ」とか「目立った行動すると罰を与えるよ」

などと、指導し続けることが効果的であり、それにより、『従順な家畜=使いやすい「オールB」の人材』がたくさん育てられている、ということだと思います。

結果として、洗脳された「常識人」として社会に出ることになります。

まさに、「鎖につながれた象」ですね。

私も低学年のころは、友達と遊ぶ・ゲームをする・本を読む等、なんでも没頭し、気が付いたら日が暮れていた、ということが毎日のようにありました。

それが、いつの間にかそういったことが無くなっていった・・・。

そのことに改めて気づかされました。

会社は今すぐやめられる

Jason GohによるPixabayからの画像

会社もまた、洗脳機関である

堀江さんは、学校と同様に会社も洗脳機関である、と述べています。

今、中学生・高校生ならラッキーであり、くだらない洗脳を無視して自分の道を歩けばよい、学校による洗脳が(人によっては)骨の髄までしみわたっている大人たちは、会社という洗脳機関にも順応してしまう、ということです。

会社には「教育」・「研修」があり、その中で「世の中の常識」・「社会人の常識」・「うちの会社の常識」が様々な形で刷り込まれています。

そして、多くの会社では、その刷り込み具合である「どれだけ組織に従順か」が評価基準になっていると述べます。

また、その組織から離脱するものに対して「会社を辞めたら大変なことになる」と脅し、不安をあおることで説得します。

そして、それにより「会社を辞められるわけがない」と思い込ませる、という強迫観念を植え付けている、と言っています。

その洗脳により、我々から発せられる「会社を辞められるわけがない」という言葉は、「変化したくない」や「このままでいたい」の言い訳でしかなく、「辞めたければ辞めたらいい」というのが現実であり、実際には会社を辞めて転職している人や、独立している人もたくさんいる、ということです。

大昔ならいざ知らず、会社を辞めても、インターネット経由のビジネスはたくさんあります。

食べるだけならいろいろなやり方があると思います。

仕事を遊び倒す人生

堀江さんは、「やりたくないことをするのが仕事」という考え方をやめ、「やりたいからどんどんやってしまう」没頭するサイクルの中から仕事を生み出す、そのような生き方を推奨しています。

仕事を遊び倒す、という観点で考えると、生活のすべてが「楽しい時間」になり、「仕事は苦しい時間」・「仕事は大変だから私生活とのバランスをとりましょう」というワークライフバランスはどうでもよくなります。

まさに、これからの時代は、80歳くらいまで元気で働くことのできる時代になるかもしれません。

その時に、80歳まで「苦しい仕事」を続ける必要はなく、自分の好きなことを仕事にしていく、それがあるべき姿だと思います。

そして、最初の一歩を踏み出すために

ただ、堀江さんは、頭の中で「自分は洗脳されていたんだ、これから頑張ろう!」と思い続けていてもだめで、今、この瞬間から動き出さなければ「洗脳」は解けない、と言い切っています。

なかなか一歩が踏み出せない我々に、どれだけ小さくてもいいから、洗脳を解いて、「最初の一歩」を踏み出す、それが堀江さんがこの本で伝えたかったことだと思います。

最後に

タイトルは過激ですが、内容はわかりやすく、今まで生きてきた中でのもやもやがすっきりする内容です。

冒頭に記載したような悩みをもっている方には、ぜひ読んでいただきたいです。

不登校ということは、「洗脳」から逃れる手法であり、好きなことに没頭することで、将来の仕事になるということにつながります。

この本を紹介したことが、そのきっかけになればと思います。

それでは、楽しいゆるそとらいふを!

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